4月6日の夕方に母から祖母が亡くなったという連絡が入りました
朝、いつも早起きな祖母が起きて来ないので
おかしいと思った母が見に行ったら、もう亡くなってたそうです。
母の電話を切ったあと
仕事中の旦那に電話で泣きながら祖母の死を伝えました。
電話を切ったあとは少しの間放心状態で
その前日の事を思い出しました。
実は前日、旦那が娘の予防接種の為に休みを取ってくれていて
車も使える状態だったので、祖母に会いに行くかどうか悩んでて
でも娘が風邪気味で心配だったし、自分も睡眠不足でイライラしてたのもあって
結局、会いに行かなかったんです。
なぜ行かなかったんだろう。
どうして行かなかったんだろう。
昨日までは元気だったのに…なんで行かなかったんだろう。
行く時間あったのになんでだろう。
娘の面倒を見ながら、旦那が帰ってくるまでそればかり考えてました。
旦那も早く帰ってきてくれて、急いで祖母の家まで向かいました。
家では、祖母は綺麗に死に化粧を施されて静かに眠っていました。
今にも起き上がってきそうなくらい綺麗な顔をしていました。
母が言うには祖母が亡くなった原因は心不全。
多分、祖父が初めはお腹にできた動脈瘤で入院したのですが
後に結核にも罹ってるとわかり和歌山に転院した事が
精神的にきて心臓に負担をかけたんだと
私的には祖父が入院しても周りに母も妹も弟もいるので
寂しくないと思ってたんですが…
そう思うと、寂しさを紛らわせてあげるために家に遊びに行けば良かったと後悔しました。
家には父もいました。
実は、父と母は別居中で母と妹と弟は祖母の家でお世話になっています。
そして父と姉が実家で2人で暮らしてます。
結婚してから家族が揃ったのはこれが初めてです。
もっと違う形で集合したかったのですが…
4月7日。お通夜。
家族葬という事で、家族、親戚が集まりました。
旦那の両親と義姉も来てくれました。
お通夜の間ずっと涙が止まらなかったです。
泣いていると娘が頬を撫でてくれました。
赤ちゃんの娘にも気を使わせてしまって、涙が止まらなかったです。
4月8日。お葬式。
この日が祖母に会える最後の日。
そう思うと、昨日もあんなに泣いたのにどこから涙が溢れてくるのか
涙が止まらなかったです。
父方の母は私が生まれる以前からいないので
私にとって小さい頃から「おばあちゃん」と呼べるのは
祖母だけでした。
もう祖母と会話する事も
祖母に会う事も
祖母と笑う事も
祖母と遊ぶ事もできない。
やはり前日の事に悔いが残ります…。もっといろんな事話したかった。
そして棺の中の祖母は眠ったままでした。
できれば「冗談でした」と起き上がってほしかった。
棺の中に祖母が好きな花を添えました。
私、親戚たちが花を添える前に母達が青い包みを入れてたので
後で何を入れたのか聞いたらマクドナルドのフィレオフィッシュでした。
そういえば「フィレオフィッシング」って言い間違えてたよなぁ…。
火葬場へ向かう道。
その日はあいにくの雨だったけど
桜は満開で、道の両端に咲く桜の木々がアーチのようでした。
花が大好きだった祖母にぴったりの道でした。本当に綺麗だった。
火葬場で火葬のスイッチを押した母。
母はどんな気持ちでスイッチを押したのだろうか。
そして最後を看取れなかった祖父は今どんな気持ちで病院にいるのか。
いろんな事を考えると頭の中が混乱して涙が出るしかなかった。
祖母が亡くなった事が急過ぎて
今でも家に行けばいるんじゃないかと思うんですけど
行っても祖母はいない。
いつもソファでナンクロや編み物をしてる祖母はいない現実にぶつかって泣いてしまう自分がいました
でも娘のおかげでなんとか、日常を保ててる。
娘がいて本当に良かった。
娘の為にも笑って過ごさないといけませんからね。
祖母も私が泣いてばっかりじゃ心配してむこうに行けない
明るく元気にいこう。
少しずつですが落ち着いてきました。
祖母にひ孫を見せられた事がおばあちゃん孝行になっただろうか…
もっともっと娘の事見ていて欲しかったな。
今まで本当にありがとう、おばあちゃん。また違う場所できっと会えますように。
そして、祖母が亡くなった同日
我が家のアイドルのインコのピクルス君も亡くなってしまいました。
一番可愛がってた妹が泣きじゃくってた姿に今でも胸が痛みます…
鳥は体調悪いの隠すから気づいてあげられなくてごめんね。
今頃むこうで祖母と仲良くしてるかな。
今まで私たちを楽しませてくれて本当にありがとう。
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